SCENE 01 / 16
扉絵
― ヒデさんのこと ―
ナレーション
これは、ヒデさんという、ひとりの男の人のお話です。
ヒデさんは、今年で78歳。今は介護施設で暮らしています。
口数は少なく、窓際の席に座っていることが多い人です。
けれど、ヒデさんにも、子どもの頃がありました。若かった頃がありました。夢中になったことがあり、好きになった人がいました。
今日は、そんなヒデさんのことを、少しだけお話しします。
語り
人は年を重ねると、だんだん自分のことを話さなくなるのかもしれません。
昔のこと。好きだったこと。誰にも話していない思い出。
本当はたくさんあるのに、今の姿だけを見ていると、つい忘れてしまいます。
けれど、どんな人にも物語があります。
この紙芝居は、特別な英雄のお話ではありません。どこにでもいた、ひとりの人のお話です。
紙芝居師トーク
皆さん、このヒデさん、どんな人に見えますか?
頑固そうですか。静かそうですか。それとも、何か隠していそうですか。
人の顔って、見れば見るほど分からなくなるものですね。
さて、このヒデさん。どんな人生を歩いてきたのでしょう。
まずは、今のヒデさんに会ってみましょう。
(めくり)
SCENE 02 / 16
動かないヒデさん
― 窓際の定位置 ―
ナレーション
ヒデさんの席は、いつも窓際です。
体操の時間になっても、みんなが手を上げても、肩を回しても、ヒデさんはあまり動きません。
椅子に腰をかけたまま、静かに窓の外を見ています。
今日も。昨日も。たぶん、その前の日も。
語り
施設の人たちは、ヒデさんのことを気にかけています。
声をかければ、返事はします。けれど、長くは話しません。
「うん。」
「そうだな。」
それくらいで、また窓の外へ目を戻します。
何を考えているのか、誰にもよく分かりません。
でも、ヒデさんは最初から、そんな人だったのでしょうか。
紙芝居師トーク
皆さんの近くにも、こういう人はいませんか。
集まりには来るけれど、あまりしゃべらない人。
話しかけても、「うん」「まあな」で終わっちゃう人。
でも、そういう人に限って、若い頃の話を聞くと面白かったりするんです。
さて、ヒデさんにも、もちろん若い頃がありました。
その前に、ある日、ちょっと不思議なことが起こります。
(めくり)
SCENE 03 / 16
何描いてるの?
― 鉛筆を握った日 ―
ナレーション
その日、ヒデさんの机の上に、白い紙と鉛筆が一本置かれました。
いつもなら、そのまま窓の外を見ているヒデさんです。
けれど、その日は違いました。
ヒデさんは、ゆっくりと鉛筆を握りました。そして、白い紙に線を引き始めたのです。
語り
一本の線。
また一本の線。
紙の上に、少しずつ形が現れてきました。
大きな屋根。柱。窓。縁側。
気がつくと、ヒデさんの机のまわりに、何人かが集まっていました。
誰かが、そっと尋ねます。
「ヒデさん、何描いてるの?」
ヒデさんは、紙を見つめたまま、ぽつりと言いました。
「家だ。」
それだけでした。
紙芝居師トーク
「家だ。」
たった一言です。
でも、家というのは不思議なものですね。
屋根や柱のことだけではありません。
そこには、匂いや音や、家族の声まで残っていることがあります。
さて、ヒデさんが描いた家。
それは、いったいどんな家だったのでしょう。
(めくり)
SCENE 04 / 16
絵ばかり描いていた少年
― 昭和の夏 ―
ナレーション
その家は、ヒデさんが生まれ育った家でした。
昭和の夏。扇風機がぶんぶん回る畳の部屋。
ランニングシャツに半ズボン姿のヒデ少年は、広告の裏紙を広げて、夢中で絵を描いていました。
その様子を、お母さんが黙って見守っています。
語り
ヒデ少年は、とにかく絵を描くのが好きでした。
広告の裏。包装紙の裏。カレンダーの裏。
紙があれば、何でも絵を描いてしまう。
描いて、描いて、また描く。
お母さんは、「また散らかして・・・」と言いながらも、本気で叱ることはありませんでした。
なぜなら、その横顔が、本当に楽しそうだったからです。
紙芝居師トーク
皆さん、子どもの頃、夢中になったものありましたか?
野球。メンコ。ビー玉。漫画。
不思議なもので、本当に好きだったことだけは、年をとっても心の奥に残っているんですね。
さて、絵ばかり描いていたヒデ少年。
やがて大人になり、ひとつの仕事に出会います。
(めくり)
SCENE 06 / 16
エレキにしびれた
― トミー誕生 ―
ナレーション
その頃、日本中にエレキブームが巻き起こっていました。
若者たちは、エレキギターの音に夢中になっていました。
そして、ヒデ青年もまた、そのひとりでした。
語り
テレビをつけても、エレキ。
ラジオをつけても、エレキ。
街を歩けば、テケテケテケ・・・。
ある日、その音を聞いた瞬間、「これだ!」と思いました。
大工見習いの給金を貯めて、憧れのエレキギターを手に入れます。
昼はトンテンカン。
夜はテケテケテケ。
仕事が終わると仲間が集まり、夢中で練習しました。
いつしか、仲間たちはヒデ青年を、「トミー」と呼ぶようになっていました。
紙芝居師トーク
どうです。
寝るのも忘れるくらい、夢中になったもの、ありましたか?
昼はトンテンカン。
夜はテケテケテケ。
なんだか、昭和の青春そのものですね。
さて、ギターを手にしたトミー。
このあと、人生を変える出会いが待っていました。
それは、小さなチョコレートから始まります。
(めくり)
SCENE 08 / 16
初デートは赤提灯
― 帰りたくない夜 ―
ナレーション
少しずつ話をするようになった二人。
そしてある日、トミーは勇気を出して、彼女を誘いました。
向かった先は、町の赤提灯でした。
語り
若い頃の恋というのは、不思議なものです。
会いたい。話したい。
そう思っていたはずなのに、いざ会ってみると、何を話していいのか分からない。
沈黙になる。
慌てて何か話す。
また沈黙になる。
けれど、ひとつだけ確かなことがありました。
二人とも、帰りたくなかったのです。
ただ、同じ時間を過ごしている。
それだけで、嬉しかったのでした。
紙芝居師トーク
皆さん、初デート覚えてますか?
何を食べたかは忘れても、嬉しかったことだけは、なぜか残っているんですよね。
トミーもきっと、会話の内容は忘れても、この夜の気持ちだけは、ずっと忘れなかったんじゃないでしょうか。
さて、恋をしたトミー。
仕事にも、人生にも、少しずつ勢いがついていきます。
(めくり)
SCENE 09 / 16
任された棟上げ
― 秀吉になる日 ―
ナレーション
赤提灯の夜から、三年ほどが過ぎました。
十八歳で大工の世界へ飛び込んだトミーも、修行四年目。
恋もしました。
失敗もしました。
叱られもしました。
けれど、逃げ出すことはありませんでした。
そんなある日。
親方が、ぽつりと言いました。
「今度の棟上げ、お前が中心になってやれ。」
語り
迎えた当日。
空は見事な青空でした。
現場には活気が満ちています。
掛け声が飛ぶ。
木槌の音が響く。
その中心に、トミーがいました。
もちろん、まだ親方ではありません。
けれど、もう見習いでもありませんでした。
夕方。
無事に棟上げが終わると、親方は、トミーの肩をぽんと叩きました。
「よくやったな。」
その頃からでしょうか。
現場では、「トミー」と呼ぶ声が、少しずつ少なくなっていきました。
みんな、こう呼ぶようになりました。
「秀吉。」
紙芝居師トーク
皆さん。
若い頃、「お前に任せるぞ。」そう言われたこと、ありますか?
嬉しいんですよね。
でも、同じくらい怖い。
人というのは、任されることで、育つのかもしれません。
さて、トミーと呼ばれた青年は、少しずつ、秀吉になっていきます。
仕事も。恋も。
いよいよ人生の本番です。
(めくり)
SCENE 10 / 16
人生の春が咲いた日
― モモとの結婚 ―
ナレーション
トミーは、ひとつの決心をします。
好きな人と、一緒に人生を歩いていこう。
相手はもちろん、あの日、チョコレートを渡してくれた人。
桃子さんでした。
そして迎えた、人生の晴れの日。
結婚披露宴の日です。
語り
若い二人には、お金がたくさんあったわけではありません。
けれど、夢がありました。
希望がありました。
この頃になると、現場では、もう誰もトミーとは呼びません。
みんな、秀吉と呼ぶようになっていました。
けれど、桃子だけは違いました。
誰もいない時、そっと、「ヒデ」そう呼んでいました。
そして秀吉も、桃子のことを、「モモ」と呼んでいました。
人生にも、春という季節があるのかもしれません。
紙芝居師トーク
結婚式というのは、不思議なものですね。
主役は二人なんですが、実は、みんなが笑っているんです。
親も。友達も。職人仲間も。
みんな嬉しい。
さて、人生の春を迎えた秀吉。
ここから先は、働き盛り。
家庭を守る男として、本当の人生が始まります。
(めくり)
SCENE 12 / 16
実りの富田家
― 家族四人 ―
ナレーション
季節は巡ります。
子どもたちも、大人になりました。
この日は、久しぶりに家族四人が揃った日。
富田家の前で、記念の一枚です。
語り
昨日まで、小さな手を引いていたと思ったら、気がつけば、肩を並べて歩くようになっていました。
秀吉は、たくさんの家を建ててきました。
けれど、本当に大切だったのは、家族という家を育てることだったのかもしれません。
門柱の表札には、富田秀吉。桃子。正秀。桃美。
何気ない表札です。
けれど、そこには、富田家の歴史が刻まれていました。
紙芝居師トーク
親というのは、不思議なものですね。
早く大きくなれと思っていたのに、大きくなると、少し寂しくなる。
でも、それでいいんだと思います。
巣立つということは、ちゃんと育ったということですから。
さて、子どもたちは、それぞれの人生へ。
そして、秀吉とモモには、久しぶりに二人の時間が戻ってきます。
(めくり)
SCENE 15 / 16
片付けられない時間
― 止まった時計 ―
ナレーション
モモがいなくなってから、季節は少しずつ過ぎていきました。
雪は溶け、春が近づいていました。
けれど、ヒデさんの時間だけは、あの日のまま止まっていました。
語り
食卓には、モモの湯呑み。
コーヒーカップ。
箸置き。
エプロン。
何ひとつ、片付けることができませんでした。
いや、片付けたくなかったのかもしれません。
そこにあると、まだモモがいるような気がしたのです。
朝になれば、「ヒデ、コーヒー入ったよ。」そんな声が聞こえてきそうで。
玄関が開いて、「ただいま。」そんな声が聞こえてきそうで。
私は、どこかでまだ、モモを待っていました。
紙芝居師トーク
皆さん。
失った人の物を、すぐに片付けられる人もいます。
何年経っても、そのままにしておく人もいます。
どちらが正しいということではありません。
その人には、その人の時間があります。
ヒデさんの時間は、まだ、あの雪の日で止まったままでした。
けれど、止まったままの時間にも、少しずつ風は吹くものです。
(めくり)
SCENE 16 / 16
富田家
― 春を待つ家 ―
ナレーション
モモがいなくなってから、どれくらいの季節が過ぎたのでしょう。
ひとりになったヒデさんは、少しずつ体も弱り、やがて介護施設で暮らすようになりました。
窓際の席。
静かな毎日。
それが、今のヒデさんです。
語り
私は、大工になりました。
恋をしました。
結婚しました。
子どもも育ちました。
孫もできました。
そして、モモを見送りました。
長かったような。
短かったような。
そんな人生でした。
ある日、白い紙と鉛筆が置かれました。
私は、何となく鉛筆を握りました。
そして、一本の線を引きました。
また一本。
屋根。柱。窓。縁側。
そうして出来上がったのは、あの家でした。
私の生まれ育った家。
家族で暮らした家。
笑った日も。泣いた日も。
みんな、そこにありました。
私は、ぽつりと言いました。
「家だ。」
紙芝居師トーク
皆さん。
家というのは、不思議なものですね。
木や柱や屋根のことだけではありません。
笑った声。
泣いた声。
帰ってきた足音。
晩ご飯の匂い。
そんなものまで、一緒に覚えていてくれるような気がします。
ヒデさんが描いた家。
それは、ずっと帰りたかった場所だったのかもしれません。
おしまい
(拍子木)
さて皆さん。
『ヒデさんのこと』
これにて、おしまい。
紙芝居を見終えて、何か感じるものがあったとしたら、それはきっと、ぬくもりなのでしょう。